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毎月フーバー
2024/03/27
毎月フーバー3月号 二代目今年で10年

みなさんこんにちは。営業の高橋です。
今月も『毎月フーバー』のお時間がやって参りました。
季節の変わり目の忙しいときに、性懲りもなくあの手この手で皆さんの脳裏にフーバーさんのワインの存在を刻むという、積極的な刷り込み企画でございます。
さあ、今月も刷り込まれる心のご準備はお済みでしょうか。
さて、いきなりですが問題です。
過日の2月19日は何の日だったでしょうか?
全国のユリアンファンクラブ会員の皆さんだったら
きっと即答できることでしょう・・・(-_-)フフフ
そう、我らがユリアン・フーバーさんの34歳のお誕生日でした!パーリーパーリーヽ(^o^)丿!!
先代が2014年の6月に逝去し、若きユリアンさんが二代目としてワイナリーを引き継いでから、あっという間に今年で10年を迎えます。
フーバー家仕込みのワイン造りへのまっすぐな姿勢や並々ならぬこだわりを、質を落とすことなく継続し続けるのは、若き醸造家にとっては容易なことではなかったでしょう。
それどころか、さらに高みを目指して昇華させたユリアンさんは、10年前とは明らかに面構えが違います。
ユリアンさんが10代のころは絵に描いたようなバリバリの反抗期を迎えて、醸造所を継ぐことなんて考えていなかったそうです。
家業のお手伝いよりも友達と遊びまくる方が楽しくて、週末は朝帰りもしょっちゅうだったそうです。
それでも、父ベルンハルトさんはそんなことお構いなしで、ベッドで寝ているユリアンさんを叩き起こし、「寝たいなら自分の遊びの時間を削ればいい」、「さあ、仕事だ!」と、畑仕事をさぼって眠ることを決して許さないほどスパルタだったそうです。
誰のおかげで食べさせて貰えてると思っとるんじゃーーー!ガシャーン (#`^´)ノ””
という昭和の頑固おやじと全く一緒です。
そう言えば、私が初めてフーバー醸造所を訪問したのは確か2007年でしたが、ワインの試飲をしている我らヘレンベルガーツアーの一行のところにユリアンさんがほんの少しだけ顔を出して、いかにもお父さんに言われて無理やり挨拶をさせられましたって感じで、「あ、ども」みたいに軽く話しをして、さっさと遊びに出掛けた愛想の無さを覚えています。
その年頃は遊びやファッションの方が優先なのは、どこの国も一緒です。
当時、醸造家を目指していなかったユリアンさんは、祖父や父と度々衝突することがありましたが、「今となっては、その厳しさも自分のためを思ってしてくれていたんだと感謝している」と目を細めて話してくれました。
24歳で当主になりあっという間の10年でしたが、一年ごとのユリアンさんの進化が明らかに見て取れる凝縮感溢れる10年であったことは、みなさんも常にそのワインから感じて頂いていると思います。
10年でこんなに凄かったらこの先・・・
と思うと期待しかありません。
ユリアン節がぎゅっと詰まった彼の生み出すワインを、
一年一年、決してお見逃しなく。
今月も『毎月フーバー』のお時間がやって参りました。
季節の変わり目の忙しいときに、性懲りもなくあの手この手で皆さんの脳裏にフーバーさんのワインの存在を刻むという、積極的な刷り込み企画でございます。
さあ、今月も刷り込まれる心のご準備はお済みでしょうか。
さて、いきなりですが問題です。
過日の2月19日は何の日だったでしょうか?
全国のユリアンファンクラブ会員の皆さんだったら
きっと即答できることでしょう・・・(-_-)フフフ
そう、我らがユリアン・フーバーさんの34歳のお誕生日でした!パーリーパーリーヽ(^o^)丿!!
先代が2014年の6月に逝去し、若きユリアンさんが二代目としてワイナリーを引き継いでから、あっという間に今年で10年を迎えます。
フーバー家仕込みのワイン造りへのまっすぐな姿勢や並々ならぬこだわりを、質を落とすことなく継続し続けるのは、若き醸造家にとっては容易なことではなかったでしょう。
それどころか、さらに高みを目指して昇華させたユリアンさんは、10年前とは明らかに面構えが違います。
ユリアンさんが10代のころは絵に描いたようなバリバリの反抗期を迎えて、醸造所を継ぐことなんて考えていなかったそうです。
家業のお手伝いよりも友達と遊びまくる方が楽しくて、週末は朝帰りもしょっちゅうだったそうです。
それでも、父ベルンハルトさんはそんなことお構いなしで、ベッドで寝ているユリアンさんを叩き起こし、「寝たいなら自分の遊びの時間を削ればいい」、「さあ、仕事だ!」と、畑仕事をさぼって眠ることを決して許さないほどスパルタだったそうです。
誰のおかげで食べさせて貰えてると思っとるんじゃーーー!ガシャーン (#`^´)ノ””
という昭和の頑固おやじと全く一緒です。
そう言えば、私が初めてフーバー醸造所を訪問したのは確か2007年でしたが、ワインの試飲をしている我らヘレンベルガーツアーの一行のところにユリアンさんがほんの少しだけ顔を出して、いかにもお父さんに言われて無理やり挨拶をさせられましたって感じで、「あ、ども」みたいに軽く話しをして、さっさと遊びに出掛けた愛想の無さを覚えています。
その年頃は遊びやファッションの方が優先なのは、どこの国も一緒です。
当時、醸造家を目指していなかったユリアンさんは、祖父や父と度々衝突することがありましたが、「今となっては、その厳しさも自分のためを思ってしてくれていたんだと感謝している」と目を細めて話してくれました。
24歳で当主になりあっという間の10年でしたが、一年ごとのユリアンさんの進化が明らかに見て取れる凝縮感溢れる10年であったことは、みなさんも常にそのワインから感じて頂いていると思います。
10年でこんなに凄かったらこの先・・・
と思うと期待しかありません。
ユリアン節がぎゅっと詰まった彼の生み出すワインを、
一年一年、決してお見逃しなく。
ヘレンベルガー・ホーフ 高橋