Bernhard Huber / Baden
ベルンハルト フーバー醸造所 / バーデン地域
ベルンハルト フーバー醸造所 / バーデン地域
フランスとスイスとの国境線沿いに位置し、ドイツで最も温暖な地、バーデン地方。そこで今、最も注目を集めているのがフーバー醸造所です。
まだ創業者であるベルンハルト・フーバーさんが研修生だったころ、13世紀の古文書に出会い、そこで故郷マルターディンゲン村がかつてピノ・ノワールの一大名産地だったことを知ります。1987年、当時加盟していた協同組合を脱退し、まさにゼロから醸造所を立ち上げました。当時安価な甘口ワインばかり造っていた世間の冷たい風にさらされながら、ピノ・ノワールの栽培に心血を注ぎ、次第にその名は世界に轟き、たった20年ほどでドイツで最も権威のあるワインガイド「ゴーミヨ」にて2008年度最優秀醸造家賞を受賞、さらに2011年度は他を寄せ付けず、赤ワイン賞3冠に輝きました。
残念ながら、2014年6月11日、55歳の若さで永眠されたベルンハルトさん。今はその熱き魂を受け継いだ息子であり新当主のユリアンさんによって素晴らしいワインが生み出され続けています。
ベルンハルト・フーバーさん
醸造所を立ち上げた先代。
彼の人柄とワインに強く惹かれ
取引がはじまりました。
ユリアン・フーバーさん
現当主、32歳(1990年生まれ。2022年現在)
父の味わいを守りながらも、
自らのビジョンをしっかり持った
ワイン造りを行っています。
2014年のベルンハルトさんの他界後、フーバーさんの息子・ユリアンさんが、父の遺志をしっかりと引き継ぎフーバー醸造所の陣頭指揮をとっています。
畑の畝に下草が生えていますが、これは彼の代になって始めた取り組みです。(左下写真を参照)このように、ブドウの収穫が終わった後、春までの間に畑にクローバーなどのマメ科の植物を植えます。
マメ科の植物は根に根粒があり、窒素化合物を作り出す根粒菌と共存しています。ブドウの成長が始まる春に、この畝を耕して植物を土の中身に埋め込むと、この根粒部分の窒素化合物が土壌に供給され、自然の肥料となります。すでに世界中で名声を得ているフーバー醸造所ですが、良いワインを造るために新しいことを積極的に取り入れる姿勢は、若き新当主の代になってもこのように引き継がれています。
さらにユリアンさんの生産するシュペートブルグンダーは現在タンニン分の抽出を抑えるように果房に日光を当てることを避けて皮を薄くすることを心がけています。温暖化が懸念される中、収穫するぶどうの温度を低く保つために早朝にカンテラをつけて収穫をしたり、収穫後の選果台導入もユリアンさんの代に変わってからです。
さらに醸造においては醸し発酵中の櫂入れを極力せず、発酵後の圧搾も垂直プレスを使用し、非常に繊細に行い、親子で夢見た「舌の上で踊るような味わい」を実現しています。白ワインはシャルドネを中心に生産しています。父の代よりも収穫を思い切って早め、圧搾では澱がたくさん出るスピンドルプレスを使用したり、樽発酵後はバトナージュを行わず長い時間をかけて硬質な味わいに仕上げています。このような醸造や栽培に関する変換も幾度となくブルゴーニュ地方のコシュ・デュリ等の生産者を訪ねたことによる影響で、今では彼らとの友好関係もしっかりと築けてきています。
2019年には「彼の造るシャルドネによって世界から改めてドイツのシャルドネが注目されることとなった」としてファルツ地方のノイシュタットの「伝説のワイン街道」に彼の名前が刻まれています。
私たちとフーバーさんとの出会いは1996年秋でした。弊社は95年までは神戸の三ノ宮にて事務所を構えており、震災後に現在の大阪府茨木市へと移りました。震災直後にも関わらず、ある酒販店さまのご要望によりドイツ旅行をお客様とともに敢行。その際、空港近くの書店にて当時社長であった山野寿がワインガイドブック「ゴーミヨ」を手にします。当時はまだモーゼルワインを中心とした品揃えであったヘレンベルガー・ホーフにとってドイツ13地域の新進気鋭の醸造家の情報はまさに宝物でした。
数ある造り手の中から95年のゴーミヨにてまだ1つ房(醸造所を房の数で格付けしています。最高は5つ房)だったフーバーさんに直感的な魅力を感じて訪問。彼の醸すシュペートブルグンダーやヴァイサーブルグンダーは私たちが当時抱いていたドイツワインのイメージを覆すまさに衝撃的なものでした。この出会いから少しずつお互いに交流を深め、2000年には当時社長であった山野寿が1年間、そのあとを追って現社長である山野高弘が2年間フーバーさんのもとで研修を行っています。フーバーさんがまだ無名だったころからのお付き合い。今では親族とお互いに言い合える間柄です。
当時加盟していた地元のブドウ生産者協同組合を脱退。
ブドウ栽培からワイン醸造、瓶詰めまでを行なうワイングートを設立。
いきなり1988年のシュペートブルグンダーが、
ドイツのワイン誌「VINUM」にてドイツの赤ワインとして最高の評価を得る。
ラインガウの名門ホテルレストラン「クローネ」の品評会にて、
1990年のシュペートブルグンダー《レゼルヴァ》が、ピノ・ノワールの部門でトップを受賞。
ドイツのワイン誌「ワインニュースレター」にて、
1992年のシャルドネがピュリニー・モンラッシェ等の銘醸ワインを抑えてトップを受賞。
イギリスのジャーナリスト、スチュアート・ピゴットが、彼の著書にて「新しいスターが誕生した」と絶賛。
ドイツで最も権威あるワイン批評誌「ゴー・ミヨ」にて、
1995年のシュペートブルグンダー《レゼルヴァ》が最高級のシュペートブルグンダーと評される。
世界160カ国で愛読されている雑誌「ニューズウィーク」にて特集で紹介される。
ドイツで最も権威あるワイン批評誌「ゴー・ミヨ」にて
2000年のシュペートブルグンダー《レゼルヴァ》がNo.1の評価を受ける。
ドイツで最も権威あるワイン批評誌「ゴー・ミヨ」にて、ついに2008年最優秀醸造家賞受賞。
同時に、最高ランクの5房に昇格。バーデン地域では当時フーバー醸造所のみ。
ワイン批評誌「ゴー・ミヨ」にて2007年シュペートブルグンダー
シュロスベルク Rが最優秀赤ワインに選ばれる。 同時に「10年後に美味しい赤ワイン」部門でも1位と3位を獲得。
ワイン批評誌「ゴー・ミヨ」にて2010年 シュペートブルグンダー ヴィルデンシュタイン Rが最優秀赤ワインに選ばれると同時に
「10年後に美味しい赤ワイン」部門と「コストパフォーマンスに 優れた赤ワイン」部門でも1位を獲得し、前人未踏の3冠を達成する。
ベルンハルト・フーバー氏死去。世界最古の新聞TIMES(英国)にて大きく取り上げられる。
ユリアン・フーバー氏が醸造所を引き継ぐ。
その功績がたたえられ、前述の「10年後においしい赤ワイン賞」が「ベルンハルト・フーバー賞」と改名される。
ユリアンさんのシャルドネの品質が認められ、世界から改めてドイツのシャルドネが注目されることとなったとして
ファルツ地方のノイシュタットの「伝説のワイン街道」に彼の名前が刻まれる。
フーバー醸造所の歴史は、フーバーさんと13世紀の1冊の古文書との出会いから始まります。
文献によると、ライン河を渡りゲルマンの地に布教に来たフランスのシトー派の僧侶が、マルターディンゲン村にピノ・ノワールを持ち込んだことが記載されていたのです。ピノ・ノワールがこの地に根付き、村名を取って「マルターディンガー」と呼ばれ、海外への輸出品として活躍していたそうです(今日でもワイン辞典に「マルターディンガー」は記載されています。)
700年前、フランスの僧侶にピノ・ノワール種の栽培の地として選ばれたマルターディンゲン村。その最大の要因は、彼らの故郷であるブルゴーニュ地方に風土や土壌が酷似していたことです。土壌は貝殻石灰岩の風化土壌。太古の昔、海であったこの地は、少し掘り起こすと独特の色合いの土壌が露出し、赤ワインに欠かせない複雑味をもたらすといわれています。
ドイツのワイン法よりも、格段に厳しい独自の品質基準と、厳しい規定を持ちフーバー醸造所含め、ドイツ国内で約200のワイナリーが加盟する「ドイツ高級ワイン生産者連盟(=V.D.P.)」。
V.D.P.では、フランスのブルゴーニュ地方と同じように、4段階にワインの品質基準を設けています。
下から順に、「醸造所名入りワイン」、「村名入りワイン」、「一級区画(プルミエ・クリュ)」、「特級区画(グラン・クリュ)」とランクが上がっていきます。ちなみに醸造所名入りワインは、ブルゴーニュの「AOC ブルゴーニュ」クラスに該当し、この上のグレードはブルゴーニュと全く同じカテゴリー分けになります。
フーバー醸造所では近年一番下のカテゴリーである醸造所名入りのワインは生産をしていません。畑が本当によい区画のみを所有していること、樹齢も古いものが増え、品質が全体的に上がったことによるものです。
現在醸造所の基本となるワインは「マルターディンガー シュペートブルグンダー」です。こちらは3村のうち、一番畑の所有面積が多く、フーバーさんの醸造所があるマルターディンゲン村のブドウのみから造られたワインです。
下のクラスと比べ、少し収量が減り、ブドウの樹齢も高めです。
プルミエ・クリュクラスにあたるのが、「アルテレーベン」と呼ばれるシリーズのワインです。
こちらは、上記の3村の古木(=ドイツ語でアルテレーベン)から取れたブドウのブレンド。中には樹齢が約40年の木も混ざっており、日当たりなどの条件が良く、さらに厳しい収量制限のもとで育てられたブドウから造られたワインです。
そして、最高級の「グラン・クリュ」にあたるのが、ヴィルデンシュタイン、シュロスベルク、ゾンマーハルデ、ビーネンベルクなどの畑名が入ったワインになります。※後述で、テロワール含め、詳しく説明しています。
日本でも近年注目されている有名なレストランガイド誌「ゴー・ミヨ誌」ですが、ヨーロッパではワインガイドとしても多大な権威を持っています。この権威ある「ゴー・ミヨ」のドイツワインの評価本で、フーバーさんは、最優秀醸造家賞 (2008年)のほかに、ドイツ最高の赤ワインを決める部門で、2度の栄誉に輝きました。この大賞になったワインが、フーバー醸造所が世界に誇るグラン・クリュ区画です。3村にまたがり、3つのV.D.P.認定区画と4種類の最高級シュペートブルグンダーを造っています。
グラン・クリュの中で、フーバーさんの本拠地の醸造所(顔のマークのある場所:上記地図参照)があり、畑の面積が一番大きいのが、マルターディンガー村の「ビーネンベルク」になります(地図上、黄色の部分)。畑の名前を直訳すると「蜂の丘」になり、昔から日当たりが良く、色々な草花が生えている丘のため、ミツバチの飼育をしていたことから、この名前が付きました。もちろん昔から、ブドウの樹が栽培されており、この村のブドウの樹は、ほかの村の畑と比べて樹齢の高いのが特徴です。
この日当たりの良い畑の、古木から造られたワインは、優しく複雑味に富んだ味わいに仕上がります。
地図の右上にある赤い部分ですが、こちらがボンバッハ村にあるグラン・クリュ、「ゾンマーハルデ」です。この畑のある場所は、地図の右上から伸びてくる、ドイツで有名な「黒い森」の裾野にあたります。
そのため他の畑より標高が高く、また黒い森から降りてくる冷気もあるため、4つの畑の中では一番涼やかな畑になります。これらにより、ブドウの成熟期間がほかの畑より長くなるため、香りのきれいな、果実味と酸のバランスが取れたワインに仕上がります。
地図上右の中段にある、ヘックリンゲン村のシュロスベルク(白色の部分)です。こちらの畑の特徴は、真南向きの、最大約70度になる急斜面の畑です。二十数年前、フーバーさんがこちらの畑を手に入れたときは、畑作業がしやすい段々畑だったそうです。それを日照効率の最大化を図り、ダイナマイトで段々畑を爆破し、急斜面の畑に作り直したそうです。畑自体は表土が少なく、水はけも良く、粒の小さいブドウが取れます。
また4つの畑の中では、ブドウの樹の樹齢が一番若い畑ですが、根が地中深くまで伸び、白い石灰岩の地層より色々な成分を吸収するため、少し塩味のようなミネラルを感じるのも特徴です。タンニンも果実味も香りもしっかりした、硬質なワインに仕上がります。
最後はヴィルデンシュタインですが、こちらはビーネンベルクの中に含まれる小さな区画(赤茶色の部分)です。シトー派の修道士がライン川を渡り、ゲルマンの地に布教に来て、ミサ用のワインを造る場所を探しているとき、この土地を見て「ブルゴーニュのミュジニーのような土地がある」と喜び、ブドウ栽培を始めた場所だといわれています。ビ―ネンベルクの中でも、丘の中腹にある、南西向きの非常に日当たりの良い場所に畑があります。表土もほとんどないため、ブドウの根がかなり地中深くまで入って行きます。
ワインの特徴としては、果実味のしっかりした、複雑でタンニン分もしっかりした、壮大なワインに仕上がります。
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