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ドイツワイントピックス
2025/03/11
フリードリッヒ・ベッカーシニアさんの生涯について

2025年2月21日(土) 私たちのもとに悲しいお知らせが届きました。
フリードリッヒ・ベッカーシニアさん永眠。
今回は、 ベッカーシニアさんについてのお話を改めてご紹介します。
フリードリッヒ・ベッカー・シニアさん(以下シニアさん)は、
1970年代までのドイツワインのいわゆるドイツワイン商業主義 の時代と戦った偉大な先駆者の一人です。

さんが見事に引き継ぎ、 赤ワインだけではなく白ワインの評価をも引き上げました。


今やドイツ最高の生産者さんに数えられるベッカーさんですが、 現在の評価に上り詰めるのは決して簡単ではありませんでした。
シニアさんは、ファルツの南、 仏アルザス地方に隣接する国境沿いの村シュヴァイゲン村の多くの 農家さんの所属する協同組合の家に生まれました。
将来は、協同組合の長として有望視されていました。
1965年シニアさんが17歳の頃、 当時バーデンのカイザーシュトゥールで農業を学んでいた学校の卒 業旅行でフランス旅行に行き、 その中の行程にブルゴーニュ地方が入っていました。
現地で生まれて初めて、 出会ったブルゴーニュの素晴らしいワイン。
品種は、ピノ・ノワール。クロ・ド・ヴージョでした。


現在は、息子のフリッツ(フリードリッヒの相性通称Jr.)
※画像Expediaより引用
シニアさんは、畑を見てあることに気が付きました。
「土壌が自分の村にそっくりじゃないか」
※クロ・ド・ヴージョの土壌は、石灰岩、砂利混じりの石灰岩、 粘土質。
こんな素晴らしいワインを自分も生み出したいと1967年、 当時耕作放棄状態にあった現在のベッカーさんのGGのうちの一つ Kammerberg カマーベルクにピノ・ノワールを植樹し始めました。
自身で独立した醸造所を立ち上げることを決意したシニアさんは、 協同組合を脱退。
当時は、 甘口白ワインが主流で特にファルツで商業的に生産されるワインが 中心的であったこともあり、 そんな中で高品質な赤ワインにチャレンジする様は、 世間から多くの反感を買いました。
ピノ・ ノワールは約1haだけを造って他のワインや家畜を飼いながら、 世間からいくら揶揄されても自分の志を曲げず、 なんとか生計を立てていました。
そして、初めてピノ・ノワールを植樹して約14年後に、 ついに奇跡が起こります。
1989年産のピノ・ ノワールが現地のワイン誌VINUMにおいて最優秀赤ワイン賞を 受賞したのです。
それからというものの「またベッカーか!」 と囁かれるほど多くの評価を得て、気が付くと同誌において8回も の最優秀赤ワイン賞を受賞。
こうして、いつの間にか世間で「ドイツのDRC( ロマネコンティ)」と呼ばれるようになりました。
※こういった経緯をモデルに醸造所のトレードマークである「 すっぱいぶどうときつね(イソップ童話)」 のラベルが誕生しました。


私たちが訪問すると口数が少なく、 威厳があり話しにくい雰囲気の方かと思いきや、 少し話すと冗談を交えて少し微笑んでくれたりと素敵な一面が見え 隠れする方でした。
奥様に先立たれ「Homageオマージュ(意:敬意)」 という特別なワインを生み出したりと口数が少ないながらもワイン から愛情がくみ取れるのも感動的でした。
ドイツワインの高品質化の一時代の英雄が去り、 ドイツのワイン業界でも話題となっています。
→山野とシニアさんの対談動画は、こちらから
世代が本格的に代わる昨今、ドイツ現地では、 過去10年でアルコールの消費量25%減少しており、 専門家の話によると今後10年でさらに25% 減少する見込みだそうです。
それに比べ、日本のワイン消費量は、毎年微増しています。
今回の訃報に触れ、 日本でドイツワインを広げ続けて次の世代交代まで無事に見守るこ とができるようにしたいと感じました。
是非、 共に日本におけるドイツワインを広げて一緒に楽しみましょう。
献杯
大田黒 匡俊