History

ヘレンベルガー・ホーフの歴史

Company History

沿革

1982年10月15日 神戸市中央区でドイツワイン販売代理店としての業務開始。
代表取締役 千葉敏明。
1983年5月 卸販売免許取得、卸販売開始。
1989年10月 小売販売免許取得。
1991年 代表取締役に山野寿就任。
このころ卸問屋を中心に全国展開をスタートさせる。
1995年1月 阪神淡路大震災で事務所半壊。大阪府茨木市に仮事務所、仮貯蔵庫開設。
1996年3月 茨木市に定温倉庫を併設した自社ビル完成。販売場正式移転。
1997年 このころから新進気鋭の若手醸造家の手による新タイプのワインが多数入荷。
2000年4月 社長・山野寿、ドイツ・フライブルク(バーデン)に長期滞在。
ベルンハルト・フーバー醸造所にて1年間ぶどう栽培・醸造を勉強。
2001年6月 社員・山野高弘、ドイツ駐在員としてフライブルクに滞在。
ベルンハルト・フーバー醸造所で研修。
2003年4月 有限会社ヘレンベルガー・ホーフからヘレンベルガー・ホーフ株式会社に組織変更。
山野高弘、リューデスハイム(ラインガウ)のゲオルク・ブロイヤー醸造所にて研修。
2003年11月 山野高弘、2年半のドイツ研修を終え帰国。
2004年5月 山野寿が代表取締役会長に、代表取締役社長に岡本圭司が就任。
2008年11月 ワインジャーナリスト有坂芙美子氏と山野高弘が中心となり、
国や地域を超えてリースリングワインの魅力を伝えていく団体「リースリング・リング」を発足。
2012年3月 主力4醸造家、ベルンハルト・フーバー(バーデン地域)、ゲオルク・ブロイヤー(ラインガウ地域)、
フリードリッヒ・ベッカー(ファルツ地域)、ラッツェンベルガー(ミッテルライン地域)を招いて創業30周年記念ワインパーティを開催。
2015年4月 代表取締役社長に山野高弘が就任。
2016年5月 ドイツワインの広報機関「Wine of Germany」より、ヘレンベルガー・ホーフのドイツ・リースリングへの国際的レベルでの貢献が評価され、
アジア人として初の「Riesling Fellow」に会長・山野寿、社長・山野高弘が任命される。
2018年2月 日本におけるドイツワインの普及の功績により、弊社会長山野寿が安倍総理大臣より首相公邸での日独首脳会談夕食会に招待される。
2019年4月 代表取締役会長・山野寿が取締役会長に。
2020年3月 YouTubeチャンネル【ドイツワイン王子のドイツワイン最高!】配信開始
2022年12月 スイスの老舗時計メーカーORISの銀座ブティック2FにORIS×HERRENサロンを開店
2023年4月 社員 大田黒 匡俊 ドイツ・フランケン地方 フュルスト醸造所にて1年間研修

Before Establishment

ワイン生産者との絆が太過ぎる輸入商社が生まれるまで

密接で濃厚な造り手さん、
お客様とのつながりを元に
「ドイツワインの再興」を
成し遂げます。

ドイツワインの日本における父に導かれ創業

創業は1982年10月15日。港町である神戸でドイツワインの専門輸入卸商社として誕生しました。当時はワンルーム、2名の社員、甘口ワインを2種類のみ扱う本当に小さな商社でした。ヘレンベルガー・ホーフという名前はドイツ、モーゼル地域のケステン村にあるヘレンベルク(紳士山の意)の麓にあるホーフ(家・館の意)という意味で、モンスハウゼンさんの家の屋号でした。当時モーゼルラント社は日本にも幅広いワインを関東中心に輸出しており、モンスハウゼンさんは日本におけるドイツワインの父として親しまれていました。後発であったヘレンベルガー・ホーフは、設立当初はモーゼルラント社のエージェントとして西日本に限定してワインを卸していました。

ドイツ モーゼル地方、ケステン村にある
故モンスハウゼンさんの家ヘレンベルガ・ホーフ 

左からモンスハウゼンさん
創業者千葉敏明 現会長山野寿

震災を乗り越えてドイツの新世代のワインを取り扱う

1980年代はドイツの甘口ワインはまだまだ人気があり、西日本を中心とした問屋様とのつながりを通じて主に甘口ワインをお届けしていました。
1990年代以降はそんなドイツの甘口ワイン人気も陰りを見せます。フランスワインの人気が高まり、イタリアや新世界ワインも台頭。それに合わせてドイツワインの人気は下降線をたどります。

ヘレンベルガー・ホーフとしての転機は1995年、神戸の震災でした。当時神戸の中心地である三宮に事務所を構えていたため、地震の直撃を受けます。ビルは半壊し、退去命令が出され、倉庫のワインも大きな被害を受けました。当時の社長、山野 寿は自宅の大阪から50ccのスクーターで現場へ急行。その行程で実際にたくさんの家屋が倒壊し、大勢の方が亡くなっているのを目の当たりにしました。「もうワインどころではない」と思い至り、廃業を意識せざるを得ない状況でした。

しかしながら、当時まだ家族をかかえる若い社員が複数おり、彼らの全くあきらめることのない「何とかしたい」という思いを汲み、本社を大阪府茨木市にある社長宅のリビングに仮設で移すこととなりました。崩れた倉庫からワインをハイエースに積み込み大阪の社長宅の車庫へ運ぶ日々。昼夜がわからなくなるほどこの作業を繰り返し、震災より10か月。1995年11月にようやく最後のワインを大阪府茨木市の自社倉庫に運び込むことができました。

新世代のドイツワインを開拓

仮設事務所からの復興を目指す過程で、ワインの取り扱いも大きな転機を迎えます。当時はまだ甘口ワインを主体にしていましたが、ドイツ国内でも人気となっていた新世代が生み出す辛口ワインに着目していきます。その中でも最も注目したのがドイツ最南端バーデンの若手生産者ベルンハルト・フーバーさんでした。

白ワインで有名なドイツですが、赤ワインに注力している造り手で、今では世界的な知名度を誇っています。当時その品質に魅せられた山野寿は社長職を投げうって1年間、フーバー醸造所で研修を行いました。現地では、1本のワインを造る上での畑や醸造所で繰り返される想像を絶する仕事を目の当たりにしただけでなく、実際に栽培に携わり、醸造家と深い信頼関係を築き上げました。

このことが、弊社が現在掲げる「ワインを造り手さんの背景とともにお届けする」活動をより力強いものにしていきます。その後現社長である山野高弘もフーバー醸造所で2年、ラインガウ地方のブロイヤー醸造所で半年に渡って研修。生産者とのつながりをさらに太いものとしていきました。

ヘルムート フーバーさんと会長山野寿
(2000年)

ヘァマン・シュモーランツさんと社長山野高弘
(2003年)

ヘレン名物「ハウスメッセ」はじまる

1996年には新社屋が完成。自社倉庫からの出荷が本格的に始まりました。そんな新しい倉庫を活用して、堅苦しい雰囲気ではなく、醸造所を訪問した時のような気兼ねなくワインを楽しんでいただける場を提供したいとの思いから始まったのが名物試飲会「ハウスメッセ」です。1998年から始めたこのイベントは毎年2回、3日間に渡って開催。弊社倉庫での試飲が楽しめるだけでなく、会長宅の庭も開放し、飲食店様に出店いただき、食事も提供しています。さらには別会場でセミナーも開催しています。一般の方もワイン業界関係者の方も交えた開放的なスタイルで、毎回3日で700名を超える方に訪れていただいています。

自社倉庫からの出荷。1本1本検品しています 

名物イベントハウスメッセの様子

絆を深めた「1日一軒のドイツツアー」と個性あふれる来日生産者イベント

より強固となった生産者とのつながりの元、年に1度ドイツ生産者巡りツアーを開催。日本での生産者来日イベントも数多く行ってきました。
特にドイツツアーでは通常であれば1日に3社ぐらいの醸造所を訪問するものですが、私たちは1生産者のみを訪問するようにしています。ワインの背景である村、畑、家族を含む人間関係をより深く知っていただくためです。強く意識してきたのはワインの表面的な味わいや外観を伝えることではなく「いつ、どこで、だれが、どのような思いをもって」造った作品であるかをお客様に伝えることでした。1軒に絞ると生産者もよりこちらを向いてくれます。現地で味わったどの教科書にも載っていない新鮮な情報と心のこもった生産者のおもてなしはお客様から「一生忘れることはありません」と言われるほど、心に深く残るものとなりました。
数多くの生産者との交流により、今では会長社長だけでなく社員にいたるまで生産者と名前で呼び合い、家族ぐるみの深い交友関係を築いています。

1日1軒のドイツワイナリー巡りツアー 

社員宅でそばを打つ、
モリッツ醸造所のローラントさん

ラングマンさんの来日イベント社員打ち上げ

ウイルス禍を経てより強固になった「背景を届けたい」という思い

そんな私たちの日常を大きく変容させたのが新型コロナウイルスでした。2020年3月から5月末、社会生活が規制される中、弊社も社員の7割は在宅勤務となり、業績も大きく影響を受けました。最も得意としていたお客様への直接訪問やイベント、ドイツツアーや来日時の生産者イベントなどが全て中止となったためです。

そんな中、私たちの「ワインを背景とともにお届けする」活動は加速します。今までに培った生産者との強いつながりを元に1分間の生産者メッセージ動画を作成。おすすめワインとして毎週配信したのがきっかけでした。そこから生産者動画のQRコードをバックラベルに貼り付け、Youtubeチャンネル「ドイツワイン最高!」を毎週火曜金曜に配信、インスタグラムでの生産者とのライブ配信、Zoomを使用したワイン会を開催と、直接訪問せずとも少しでも現地の風が感じられるような施策を次々と打ち出していきました。弊社の名物イベントである前述のハウスメッセも動画で再現。「バーチャルハウスメッセ」として全国のお客様に配信しました。

前述の通り、私たちはお客様や生産者と「より深く、より濃く、より長く」つながることに重きを置き、直接訪問して感動をお伝えすることをモットーとしてきました。インスタグラムやFacebookのアカウントすら持っていない社員が多数のWEB音痴を地で行く昭和型の会社でしたが、そんな私たちの背中を強く押してくれたのがお客様と生産者の苦境でした。少しでも明るい話題を提供し、ワイン業界を活性化したい。未曾有の災害でしたが、この経験を経て私たちの「ワインを背景とともにお届けする」思いはより強固なものになりました。

コロナ後の世界では今までの得意技である濃厚接触も可能な限り行いながら新しく得たこの「WEBの力」も最大限に利用していきます。かつて日本では「ドイツワインの新しい情報がない」と言われてきましたが、「ドイツワインの情報が一番多い」と言われるように今後も活発な活動を続け、「ドイツワインの日本における再興」を成し遂げます。

テレーザ ブロイヤーさんとの
インスタライブの模様

名物試飲会ハウスメッセを動画で再現
(2020年5月)

生産者動画QRコード付きバックエチケット